志布志市長賞
杯を空にする日   高村 絵里
 「酒を飲まないということは、人生の楽しみの半分を放棄し
たということだよ」
 先生はそう言って、下戸の私を笑った。せっかくお酒のおい
しい店に連れていっても、一滴も飲まずに肴ばかり食べる部下
の姿は、さぞかし興ざめだったことだろう。でも先生が私に飲
むことを強要することは一度もなかったし、私もそれに甘んじ
て器に口をつけるふりさえしなかった。
 どうして、私はあのとき、たった一度でも、先生と一緒に酒
を飲まなかったのだろう。
 当時私は大学を出たばかりで、自分の能力もわきまえず、若
い傲慢さで闘いを挑むようなじゃじゃ馬だった。そんな私の立
場が悪くならないように陰で支えてくれたのは先生だ。なかば
面白がって見ていたのかもしれない。私が問題を起こしそうに
なるたびに、「ちょっと飲みにいこう」とさりげなく誘い出し
ては、説教するわけでもなく、いつの間にか私の尖った矛先を
納めさせてしまうのだった。
 本来なら校長になるはずだった先生が二番手に甘んじていた
のは、癌の再発を繰り返したからだ。入院のたびに「大好きな
手術に行ってきます」とおどけ、「看護師にモテてしかたがない。面倒くさいから戻ってきた」と言いながら職場に帰ってくる。そんな姿に私たちはすっかり騙されて、病の重篤さに気づ
いていなかったのだと思う。だからあの日の入院の時も、また
すぐに飄々とした姿で戻ってくると、信じて疑わなかった。
 葬儀には、何百人もの生徒が参列した。長い行列の中で、生
徒たちは赤ん坊のように大声で泣き叫んだ。「おおげさだな」
と苦笑する先生の姿が目に浮かび、私は微笑んだ。
 もし、死んだ者同士が再会して語り合える時が来るのなら、
私は先生と一緒に飲み屋のカウンターに坐って、日本酒をごく
ごく飲むだろう。先生はおもしろそうに杯を傾けて、「酒を飲
まない人生でも、けっこう楽しんだようだね」と笑ってくれる
だろう。