鹿児島県知事賞
木守り   今井 洋子
 先日師と仰ぐ方から、「木守り(きまもり)」という秋の季
語を教わった。意味は収穫の後に、一つだけ木に残しておく果
実のことで、翌年の実生りへの祈りからとも、小鳥のために残
しておくともいわれる。
 三年前に亡くなった父は、果物が好物で、庭の柿の木や蜜柑
の木などがたわわに実ると毎日もいでは美味しそうに食べてい
たが、最後の数個は必ず木に残しておいた。当時の私は取り忘
れたのだろうくらいに思っていたのだが、父が亡くなり、近く
に住む兄が高齢の母のために全て収穫しようとすると、母が
「父ちゃんがいつも言ってたよ。木に生った実は全部取らんで、小鳥に残しとらんとね。冬の山は食べるもんがなかで、ここの
実を楽しみにしちょっとじゃっでね」と兄に話したという。今
も一人暮らしの母を慰めようと、父の代わりにいろんな小鳥が
毎日母を訪ねてくれている。
 結婚した当初、夫の実家の田圃で脱穀の手伝いをしたときの
ことである。作業もひと段落し、ほっと一息ついていると、当
時健在だった夫の祖母が痛い腰をかがめて一本ずつ稲穂を拾い
集めていた。私も急いで祖母の傍らで拾い始めたのだが、祖母
は私にこう言ったのだ。「全部拾ったらいかんでね」と。その
訳を聞くと、祖母が若かりし頃、田圃がありお米が作れても、
一粒のお米も無駄にはできない生活状態であったという。しか
し田圃を持たない農民の生活はさらに困窮を極めていたそうだ。彼らは収穫が済み人気が無くなった田圃にやってきて、落穂を
拾い貰って帰り、糊口を凌いでいたのだ。「今はそんな時代じ
ゃないから、小鳥たちに多めに残しておくんだよ」。そう言う
と祖母は腰を伸ばし、水筒のお茶を美味しそうにごくりと飲んだ。
 父も祖母もおそらく「木守り」という言葉など知らなかった
ことだろう。だが自然との共生の中で、お互いを思いやる精神
は太古から脈々と受け継がれてきたのだ。木守りの心は、私た
ちも後世に残していきたいものである。